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ソウル(2日目)

北村(プッチョン)に伝統韓屋があるのですが、観光地化しているので人が多くて写真撮ってません。(^_^;
ほとんどが石塀で囲まれているので、内部も見ることができません。しかし、道路や建物のスケール感が絶妙で、街並みがとてもきれいです。(人がいなければ。。。)
実際に住んで生活している人がいるので、静かに街歩きしてきました。移動のほとんどは徒歩かバスです。その方がその土地の普段の暮らしぶりなどが垣間見えて楽しいです。
伝統的な家屋がある一方で、当然ですが現代的な建築もあります。

ギャラリー

建物名忘れました。(^_^;
外壁は鉄板をランダムに折り曲げて出来ています。

外壁のディテール

ちょっとピンが甘いですが、ランダムに折り曲げることで陰影に変化をつけています。

壁面

反対側から見ると、その表情は違って見えますね。
ちょっとしたアイディアですが、こういうの好きです。

3日目、4日目は、ただ食べ歩きしただけでなにも無しです。ww
今年年頭にもきましたが、年に一度くらいは家族旅行したいですね。


鹿屋の家

大きな三角屋根と小さな三角屋根をL形に配置して、縁側を巡らせることで内部と外部の連続性を持たせています。
深い軒は、季節の日照をコントロールし、風雨から建物を守る役割を持っています。周囲の田園風景や山並みの自然に調和させるために、外壁には杉板を用いていて、桜島の降灰の対策として屋根は金属屋根にしています。

鹿屋の家外観
©撮影 株式会社アイオイ・プロフォート

鹿屋の家 ©撮影 株式会社アイオイ・プロフォート

大きな三角屋根の空間は、リビングと2階の子供室になっていて、勾配天井でひと繋がりの空間になっています。

鹿屋の家 リビングと2階の子供室  ©撮影 アイオイ・プロフォート

リビングは、縁側へとつながっていて、豊かな住空間となるように工夫しています。

子供室からリビングと縁側を見ています
©撮影 株式会社アイオイ・プロフォート

詳細はHPの作品ページにアップしました。


縁側

鹿屋の家 ©撮影 株式会社アイオイ・プロフォート

やっと鹿屋の家の写真が撮れました。
L形に回した縁側が、内部空間と連続しています。深い庇は陽射しを調整し、雨を防ぎます。
やはり、このような日本の建築にあった縁側や軒下は、豊かな空間になると言うことがよくわかりますね。
※ホームページにも掲載します。ちょっと忙しいので、すこし先になるかも知れません。


30年の月日

二期倶楽部 本館 2017年9月19日

那須岳から吹き下ろす風はとても荒々しくて、晴れ間はすぐに通り過ぎ雨に変わる。
1984年当時渡辺明さんの事務所にいた私は、渡辺さんと共に現地を訪れ、オーナーとの打合せに立ち会った時のことだ。
敷地は雑木林が鬱蒼と茂り、手つかずの自然が周囲を取り囲んでいた。
回り込むように、小さな清流が流れ、その川音が印象的だった。

1986年に開業。
二期倶楽部が誕生した。
あれから30年。二期倶楽部は閉館する。

水庭前の木々は、背高く大谷石の壁を越えていた。
本館は、木々の中に溶け込んでいた。
自然と建築、自然と人、人と人。その関わりかたを示した建築だった。


変えることができないもの

空間構成


住まいの設計の依頼を受ける時に、必ず伝えることがあります。
住宅はモノではありません。ほとんどの人たちにとって、一生に一度の大きな出来事です。
当然要望は100%聞きますが、すべてその通りにするわけでもありません。
住まいを設計するということは、広さや部屋の数だけでできるほど簡単なことではありませんから、ライフスタイルを十分に踏まえた上で、それ以上のものを提案することだと考えています。

できあがったら変えることのできない、人が豊かさや幸福感を感じることができるような「空間構成」こそが、最も大切なことなのです。


2017正月

あけましておめでとうございます。
元日からソウルに滞在していました。
観光目的の4日間の滞在でしたので、広範囲の移動ではなく、下町を拠点にしてタクシーで10分程度の行動範囲です。できるだけ日常の生活を感じたかったので、多くは徒歩や地下鉄、バス移動で町歩きをしてきました。

東大門デザインプラザ

東大門デザインプラザ

現代的な街並みがある一方で、夕方になると歩道一杯に屋台が建ち並び、様相が一変します。毎日が縁日のようです。とても興味深い風景が混在していました。

清渓川

夜の清渓川。
スケールは東京スカイツリー際のウォーターフロントと同じくらいでした。昼間に行けなかったので、全体の景観が見られなかったのが残念。
食べ物は安くて美味しいし、公共交通も多く移動も便利です。
次回は、もう少し郊外にも足を伸ばしてみたいと思います。


細部への思い

片持ち階段(N-HOUSE)

片持ち階段(N-HOUSE)

大学を卒業し、社会に出て実際に設計に携わるようになって間もない頃の思い出です。
当時、私は渡辺明さんの事務所で日夜図面と現場に明け暮れる日々を送っていました。
打ち放しの小さな住宅を設計していて、卒業したばかりですから、とにかく無我夢中で取り組んでいたのを思い出します。
知っての通り、打ち放しの建築というのは、後処理というのはできません。
設備にしろ、建具にしろ、すべてが型枠を建てる以前、コンクリートを打設する以前に決めておかなければなりません。
思い出すのは、照明のダウンライトとコンセント。
位置を決めさえすれば、あとは現場で確認するだけ。
しかし、事はそう簡単ではないのです。
ダウンライトのフェースプレートの厚みは約5mm、コンセントのプレートの厚みは約7mmあります。
通常そのままつければ、壁面や天井面からこの厚み分出てしまうことになります。それでは、打ち放しのコンクリート壁に出っ張ってしまう。

それが嫌なので、どうするかと言うと、全てのコンセント、スイッチ、照明のフェイスプレートの厚み分コンクリートの面を凹ませる必要があります。
実際大変なことは、現場をイメージしてみるとわかるでしょう。ごまかしのきかない厳しい現場になります。
コンクリートの面に異質の物を決して出さないという、細部への思いがあるわけです。
一般の人から見れば、気にもとめられないことに思えますが、ここに造り込みにかける強い思いが存在します。
そうしてできた空間は、見事なまでの空気の質をつくりだすのです。

確か、出江寛さんだったと記憶していますが、和室のコンセントを取り付けるのに、プレートすら取り払ってしまって、コンセント部分だけをのこして、すべて土壁で塗り込んでしまったのを見たことがあります。
和室の土壁に、コンセントプレートは許せない。
情緒も風情もたった一つのコンセントで台無しになってしまう。
そういう徹底した思いがあったに違いないのです。
こんな思いを持つのは、建築家くらいだろうと思っていたのですが、30年ぶりに谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を再び読んで見たら、そういう感性は、建築家だけではないと。
むしろ、今つくられている建築、とくに住宅に忘れられてしまった思いではないかと感じるのです。

私の師匠
故 渡辺明先生の七回忌を迎えて


光のコントロール

建築空間を考える時、光は一番重要な要素であると考えています。
闇雲に明るさだけを追い求めても、空間の質は一様になるだけで、その空気感はつまらないものになるだけです。
光というのは、絞るものだと考えています。

木漏れ日

木漏れ日

乗泉寺本堂

乗泉寺本堂


無垢の姿

杉板の書棚

杉板の書棚

素材が本来持っている姿というのは、同じものは二つとなくて、人が手を加えてデザインできる物ではないだろう。そこには、たった一つの嘘もないのだから。
素材のありのままの姿を活かしきることが、それに応えることだと思っている。


豊かに暮らすために

住宅の設計をしていると、必ずと言っていいほど話題になるのが、収納の話。
建築主にとっては、さまざまな条件のなかで、ストレスになるくらい悩みが多い問題ではないでしょうか。
なにしろ、収納をテーマにした本が、数限りないほどでているわけだから、深刻な問題なのだとも感じます。
以前設計した二つの住宅を改めて見てみると、収納の取り方の違いがはっきりしています。
いずれも、年代は違いますが、3人家族の住宅です。

こちらは延べ面積が40坪ほどの、2階建ての住宅です。

I-HOUSE

I-HOUSE

マンション風に言えば、3LDK+書斎。
その収納は、押し入れにして、6カ所分。
その他に書斎の本棚など、小さな部分もあるので、相当なスペースを占めています。

こちらは、延べ面積が30坪ほどの、平屋建ての住宅です。

つつじが丘の住宅

つつじが丘の住宅

収納(ユーティリティ)として、1カ所にまとめて3畳ほどのスペースをとっています。
日常で使うものは、それぞれの部屋に置いて、そうでない物は全てユーティリティにあるので
使う時にここに行けば必ず物は見つかるし、どこに入れたか忘れることもありません。
個室にはクローゼットも一切収納はなく、気に入った家具を置くという考え方で、部屋に必要以上の物がないため、すっきりと暮らせます。

生活していく上では、収納は当然必要です。
しかし、せっかくお金をかけて住まいをつくっても、必要以上に収納を取って、その他の部屋の居心地が悪くなってしまっては、本末転倒です。

「本当に必要なモノ」は、そんなにあるのでしょうか?
これは、真剣に考える必要があると思います。
せっかくの暮らしが、モノに支配されてしまっては、楽しくありません。

私も含めて、人はモノを持つということに、喜びや幸せを感じます。決して悪いことでもないし、むしろ普通のことですね。
しかし問題は、本当に自分に必要で、愛着が持てるかどうかということではないでしょうか。
愛着が持てれば、それは本当に幸せであるし、大切にしまっておけます。

そうでない物は、いつしか収納の奥に眠って、二度と使われることはなくなってしまう。
いつか「使うかも知れない」、「もったいないから」、「とりあえず」取っておこう。
これは、一見すると物を大切にしているように思えるけれど、ほとんど使わず仕舞いで、その存在すら忘れられています。
こういうものは、きっぱり捨ててしまうか、必要な人にあげるか、売ってしまうに限ります。
物は使われてこそ生きるのですから。

そうすればきっと、ストレスのない快適な暮らしになると思うのですが・・・・。物心ともに豊かに暮らすために。

一読お奨めします。
「捨てる」「片づける」で人生は楽になる PHP文庫
著者は斎藤茂吉の長男、精神科医の齊藤茂太先生です。