ソウル市内北村の路地に鉄の塀をみつけました。
防錆されておらず、全体を錆びが覆っています。
錆びの感じは、コールテン鋼ではなさそうですね。
フレームをアングルで組んでいるようです。上部は形鋼の庇になっていて、門扉の庇にもなっています。
建物の外壁は木材ですが、屋根のフレームもやはり形鋼のようです。
素材の使い方がうまいですね。
年月と共に、質感が出てくるという考え方もあると思われるし、質素で日本的な情緒がある建物です。
下段は石の小端積みです。これもまた良い感じです。
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北村(プッチョン)に伝統韓屋があるのですが、観光地化しているので人が多くて写真撮ってません。(^_^;
ほとんどが石塀で囲まれているので、内部も見ることができません。しかし、道路や建物のスケール感が絶妙で、街並みがとてもきれいです。(人がいなければ。。。)
実際に住んで生活している人がいるので、静かに街歩きしてきました。移動のほとんどは徒歩かバスです。その方がその土地の普段の暮らしぶりなどが垣間見えて楽しいです。
伝統的な家屋がある一方で、当然ですが現代的な建築もあります。
建物名忘れました。(^_^;
外壁は鉄板をランダムに折り曲げて出来ています。
ちょっとピンが甘いですが、ランダムに折り曲げることで陰影に変化をつけています。
反対側から見ると、その表情は違って見えますね。
ちょっとしたアイディアですが、こういうの好きです。
3日目、4日目は、ただ食べ歩きしただけでなにも無しです。ww
今年年頭にもきましたが、年に一度くらいは家族旅行したいですね。
大きな三角屋根と小さな三角屋根をL形に配置して、縁側を巡らせることで内部と外部の連続性を持たせています。
深い軒は、季節の日照をコントロールし、風雨から建物を守る役割を持っています。周囲の田園風景や山並みの自然に調和させるために、外壁には杉板を用いていて、桜島の降灰の対策として屋根は金属屋根にしています。
大きな三角屋根の空間は、リビングと2階の子供室になっていて、勾配天井でひと繋がりの空間になっています。
リビングは、縁側へとつながっていて、豊かな住空間となるように工夫しています。
詳細はHPの作品ページにアップしました。
あけましておめでとうございます。
元日からソウルに滞在していました。
観光目的の4日間の滞在でしたので、広範囲の移動ではなく、下町を拠点にしてタクシーで10分程度の行動範囲です。できるだけ日常の生活を感じたかったので、多くは徒歩や地下鉄、バス移動で町歩きをしてきました。
現代的な街並みがある一方で、夕方になると歩道一杯に屋台が建ち並び、様相が一変します。毎日が縁日のようです。とても興味深い風景が混在していました。
夜の清渓川。
スケールは東京スカイツリー際のウォーターフロントと同じくらいでした。昼間に行けなかったので、全体の景観が見られなかったのが残念。
食べ物は安くて美味しいし、公共交通も多く移動も便利です。
次回は、もう少し郊外にも足を伸ばしてみたいと思います。
大学を卒業し、社会に出て実際に設計に携わるようになって間もない頃の思い出です。
当時、私は渡辺明さんの事務所で日夜図面と現場に明け暮れる日々を送っていました。
打ち放しの小さな住宅を設計していて、卒業したばかりですから、とにかく無我夢中で取り組んでいたのを思い出します。
知っての通り、打ち放しの建築というのは、後処理というのはできません。
設備にしろ、建具にしろ、すべてが型枠を建てる以前、コンクリートを打設する以前に決めておかなければなりません。
思い出すのは、照明のダウンライトとコンセント。
位置を決めさえすれば、あとは現場で確認するだけ。
しかし、事はそう簡単ではないのです。
ダウンライトのフェースプレートの厚みは約5mm、コンセントのプレートの厚みは約7mmあります。
通常そのままつければ、壁面や天井面からこの厚み分出てしまうことになります。それでは、打ち放しのコンクリート壁に出っ張ってしまう。
それが嫌なので、どうするかと言うと、全てのコンセント、スイッチ、照明のフェイスプレートの厚み分コンクリートの面を凹ませる必要があります。
実際大変なことは、現場をイメージしてみるとわかるでしょう。ごまかしのきかない厳しい現場になります。
コンクリートの面に異質の物を決して出さないという、細部への思いがあるわけです。
一般の人から見れば、気にもとめられないことに思えますが、ここに造り込みにかける強い思いが存在します。
そうしてできた空間は、見事なまでの空気の質をつくりだすのです。
確か、出江寛さんだったと記憶していますが、和室のコンセントを取り付けるのに、プレートすら取り払ってしまって、コンセント部分だけをのこして、すべて土壁で塗り込んでしまったのを見たことがあります。
和室の土壁に、コンセントプレートは許せない。
情緒も風情もたった一つのコンセントで台無しになってしまう。
そういう徹底した思いがあったに違いないのです。
こんな思いを持つのは、建築家くらいだろうと思っていたのですが、30年ぶりに谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を再び読んで見たら、そういう感性は、建築家だけではないと。
むしろ、今つくられている建築、とくに住宅に忘れられてしまった思いではないかと感じるのです。
私の師匠
故 渡辺明先生の七回忌を迎えて