大学を卒業し、社会に出て実際に設計に携わるようになって間もない頃の思い出です。
当時、私は渡辺明さんの事務所で日夜図面と現場に明け暮れる日々を送っていました。
打ち放しの小さな住宅を設計していて、卒業したばかりですから、とにかく無我夢中で取り組んでいたのを思い出します。
知っての通り、打ち放しの建築というのは、後処理というのはできません。
設備にしろ、建具にしろ、すべてが型枠を建てる以前、コンクリートを打設する以前に決めておかなければなりません。
思い出すのは、照明のダウンライトとコンセント。
位置を決めさえすれば、あとは現場で確認するだけ。
しかし、事はそう簡単ではないのです。
ダウンライトのフェースプレートの厚みは約5mm、コンセントのプレートの厚みは約7mmあります。
通常そのままつければ、壁面や天井面からこの厚み分出てしまうことになります。それでは、打ち放しのコンクリート壁に出っ張ってしまう。
それが嫌なので、どうするかと言うと、全てのコンセント、スイッチ、照明のフェイスプレートの厚み分コンクリートの面を凹ませる必要があります。
実際大変なことは、現場をイメージしてみるとわかるでしょう。ごまかしのきかない厳しい現場になります。
コンクリートの面に異質の物を決して出さないという、細部への思いがあるわけです。
一般の人から見れば、気にもとめられないことに思えますが、ここに造り込みにかける強い思いが存在します。
そうしてできた空間は、見事なまでの空気の質をつくりだすのです。
確か、出江寛さんだったと記憶していますが、和室のコンセントを取り付けるのに、プレートすら取り払ってしまって、コンセント部分だけをのこして、すべて土壁で塗り込んでしまったのを見たことがあります。
和室の土壁に、コンセントプレートは許せない。
情緒も風情もたった一つのコンセントで台無しになってしまう。
そういう徹底した思いがあったに違いないのです。
こんな思いを持つのは、建築家くらいだろうと思っていたのですが、30年ぶりに谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を再び読んで見たら、そういう感性は、建築家だけではないと。
むしろ、今つくられている建築、とくに住宅に忘れられてしまった思いではないかと感じるのです。
私の師匠
故 渡辺明先生の七回忌を迎えて